好奇心から災厄を世界に解き放ってしまった女の話だ。
一般的な解釈では最後に残されたものが「希望」ということになっているが
違う解釈も存在する。
反・ギリシア神話
ヘシオドスは、ゼウスがパンドラを地上に送って、ゼウスを怒らせた人間たちに罰を与えるのだと主張している。パンドラは、祝福ではなく呪い、すなわち戦争、苦痛、死、病気その他すべての苦難で満ちた瓶を持っていった。ゼウスの予想どおりに、パンドラは好奇心からかめを開け、苦難は解き放たれて、人間の間に広がった。残酷さの総仕上げとして、ゼウスはまやかしの「希望(elpis)」をも人間に与えた。彼らが絶望のあまり、天界の父の意志によって自分たちに課せられた苦難の報酬から逃れようと、自殺をはかるのを阻止するためであった [註4]。この神話の基本的な主題はイヴEveの神話においてもなじみのものである。
最後に残された「まやかしの希望」こそが真の災厄だ、という解釈だ。
様々な苦難の中で暮らしながらも、このまやかしの希望ゆえに人は望みを捨てる事が出来ない。
そして苦難の中で生きていくことを強いられる、というわけである。
最近の韓国幹細胞騒動のニュースを見ていると、このパンドラの神話を思い出して仕方がない。
まやかしの希望にすがり付かせておいて突き落とすというパターンが既に何度繰り返されたことだろう。
朝鮮日報など27日にこんな飛ばし記事を出しておいて、今日になったらこれだ。
【論文ねつ造】「解凍培養中の細胞5個、患者のDNAと一致」(27日)
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調査委「患者対応型ES細胞は存在しなかった」
【論文ねつ造】「2・3番幹細胞も患者対応型ではない」
偽りの希望にすがりつかされ、段々と絶望の底に落ちていく韓国人がいっそ哀れである。
未来が箱の中に残っている=未来のことがわからない
からこそ、人は希望を持って生きていける、と。