2008年12月25日

頭が良いってそんなに嫉ましいものなのかね?

pollyannaさんとこの「「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記」を読んでいて考えたことをつらつらと書いてみる。

「頭がいい」という属性は、どうも「運動ができる」とか「金持ち」という属性よりも他者の嫉妬や反感を引き起こしやすいらしい。
pollyannaさんのエントリやブクマコメントにもいくつも例が挙がっているが、私も小学校の頃に「頭が良いから」という理由でいじめというか嫌がらせにあったことがあった。
 
 

私の通っていた小学校は京都市南部の公立小学校で、プロジェクトXの伏工ラグビー部の話を見たことのある人や、あるいは近畿圏の人ならある程度分かるだろうが、あの辺は結構柄の悪い地域で、私の通っていた学校もご多分にもれず結構荒れていた。

けんかやいじめなんて日常茶飯事、大学出立ての新任教師をいびって泣かし授業が無くなったり、学級崩壊も数回、小学校高学年で既に喫煙率が3割近いという、自分で書いていても大した環境だったと思う。
生徒の一人一人は別に悪い奴らじゃなかったんだが、そういう「状況」が「当たり前」になっている地域だった。
私はそんな学校、そんな地域が、力量ある先生が何人も投入されて10年近くかけて普通の学校にしていく過程をリアルタイムで見ており、それはそれで一つのドラマだったりするんだが、話が逸れるので脇に置く。

こういう学校で勉強ができる人間というのはどうしても悪目立ちし、「いちびってる」とか「いい子しい」とか言われて攻撃の槍玉に挙げられる。私も一度ターゲットにされたことががあって、無視、悪口、物を隠すなどに始まり、色々とやられた。
もちろん黙ってやられるような性格じゃないから当然やり返したが、あまり愉快な経験じゃないね。

元々学校なんてつまらないところとしか認識していなかったが、心底学校に嫌気が差したのがこの頃だった。
何を思ってか教師に席替えでそいつらと同じ班にさせられたため、一学期に渡って冷戦状態。
5人班で4人が敵という四面楚歌状態でどうしろってんだ。

一番傑作だったのが、そんな四面楚歌の中、理科の時間に天秤の実験を行った時のことだった。
天秤の腕木の長さとおもりの重さを変えながら釣り合う組み合わせを調べるといった感じのものだったと思うが、藩のほかの連中が結託して、私を実験に参加させなかったのだ。
ナントカの浅知恵で、実験を見なければ結果が分かるはずがないと考えたらしい。

もちろんその程度の実験なら実験するまでもなく結果は理解できるわけで、実験後のテストで私が普通に満点を取った一方で馬鹿共はいつものように残念な点に終わっていた。
自分の目で実験を行ってもなお世界が物理法則に支配されていることを理解できない連中には、その法則さえ理解していれば実験するまでも無く結果が予測できるなどということは想像の範疇になかったらしい。
テスト後、馬鹿共が悔し紛れに「実験もせずに結果が分かるはずがない。あいつはカンニングしたに決まってる」と先生に言いつけに行き、当然相手にされずにあしらわれていた様にはさすがに噴き出さずにいられなかった。
頭が良いってそんなに妬ましいものなのかね?


とまあこういうのは私が「戦える」人間だから言える内容ではある。
ここから本題。

この国の小中学校くらいの子供にとって、頭が良いということは幸せよりも不幸をもたらすことがある。
それも普通に地元の公立学校に通うような、一般家庭の子供なら特に。
#一流の私立進学校に通えるような裕福な層ならその限りではないが。

人は平等ではない。
生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な身体を持つ者。
生まれも育ちも才能も、人間はみな違っておるのだ。
そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。

不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ。

とブリタニア皇帝を気取ってみるが、小学校高学年くらいになると「生まれ」+「育ち」の差がかなり顕著に出るようになる。

最近こそスーパーサイエンハイススクールとか銘打ってかなり方針転換されているが、私が子供のころはまだまだ結果平等主義的な教育がはびこっていた。
こういった教育方針の下では、学校教育の目的は集団のレベルを一定まで引き上げることであり、下のレベルのものを引き上げることには注力されても、苦もなくトップに立てる子供は放っておかれることになる。
ギフテッド - Wikipedia
ギフテッドの定義
21世紀初頭現在は、アメリカ合衆国教育省が1993年に発表したギフテッド・タレンテッド教育方針書[2]における定義が一般的な基準の一つとなっている。スーザン・K・ジョンセンも自著『ギフテッドの子供の判別法 実践ガイド』の中で、合衆国が定義した能力を含む分野において、高い能力を発揮する可能性を見せた子供をギフテッドと呼ぶと述べている[3]。
子供、生徒、若者に対してギフテッドやタレンテッドという言葉が用いられた場合は、その者が知的能力、独創性、芸術性、リーダーシップ、あるいは特定の学術分野における高い潜在能力の片鱗を見せ、その能力を十分に伸ばすには通常の学校教育にはない援助や活動を必要とすることを意味する[4]。

この定義は、アメリカ合衆国の州や学区、学校レベルでもそのまま、あるいは一部に採用され、下記のテキサス州の例と似通った定義をもつところが多い。
ギフテッド・タレンテッドの生徒とは、同じ年齢・経験・環境を持つ子供と比較して著しく高いレベルを達成する、あるいはその可能性をうかがわせる子供。知的能力、独創性や芸術の分野において高い実行能力を示す、並外れたリーダーシップ能力を持つ、あるいは特定の学術分野で秀でている[5]。

ただ放っておかれるだけであればまだいい。
Giftedは持前の強い好奇心によって、勝手に探求を行うからだ。
しかし日本社会では、往々にしてGifted Childの前には周囲からの妬みや敵意、無理解という壁が立ちふさがることになる。
そうして義務教育は、Giftedにとっては死ぬほど退屈であったり、学校に行くのも嫌なものとなることが往々にしてある。


同級生の嫉妬はまだかわいい方だろう。
それ以上に厄介なのが、親や先生といった、周囲の大人の無理解だ。
Giftedはその素質ゆえに、ほとんど苦労もなく学校の勉強を理解できるし、その知的好奇心ゆえにそれだけでは物足りなさを感じる。
そして義務教育は平均的な才能の人間を基準として作られているため、彼等の才能を伸ばす負荷としても、その欲求を満たす知的な栄養としてもまったく十分ではない。

義務教育下におけるギフテッドは、いわば栄養不良のもやしである。
もやしで終わるか成長して豊かな実りを付けるかは、栄養次第で決まる。
そしてこの才能は栄養不良と周囲の毒によって容易にスポイルされる。

限界まで才能を発揮することを知らぬままに、そこそこの成果で満足するようになってしまったり。あるいは才能のかけらを利用して適当に世渡りしていくことをよしとしてしまう。
これはある意味、周囲にスポイルされること以上の不幸だと思う。

最近の子供は当たり前のようにWebを利用できる分、栄養面では我々の世代よりは恵まれている。
願わくば、周囲にスポイルされることなくその才能を伸ばしてほしいと思う。
posted by 黒影 at 04:42| Comment(4) | TrackBack(0) | 論考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
想像を絶する環境です・・・
Posted by matcho226 at 2008年12月27日 21:11
「頭がいい」人は「四面楚歌状態」に陥るのであろうか?? これが単に「性格の悪さ」が原因であって、「頭がいい」のとは無関係。

ここの管理人は相当、わがままに育ったのであろう。その我が儘な自分にに早く気付いてほしい。

ところで、例のゲノム解析の結果はどうなったんだろう?

自分に都合の悪い事からは逃げ回るという卑劣な性格も「四面楚歌」の原因じゃないのかな。反省しなさい。
Posted by お呼びじゃないのだ 連中は at 2012年07月09日 15:54
>この論文は進化生物学史に新たな一歩を刻む重要なものなのですが、それは裏を返すと創造論者やID論者達に新たな鉄槌を下すものでもあるわけです。

進化生物学史の新たな一歩だって^^
アホらし、黒影くん 恥を知りなさい

>日本の連中は不勉強なのか反論できないのか反応すらしていませんが、欧米の創造論者は苦し紛れにヘンテコリンな反応をして海外のウォッチャーを笑わせています。

こんな三流記事で大騒ぎしたお前さんを皆笑ってるって^^

>個人的にはよく調べもせずにこの実験に反応し、自爆して涙目なBeheがツボでした。

これ、自分のことだろ^^
自爆して涙目^^

Posted by お呼びじゃないのだ 連中は at 2012年07月12日 08:53
>この論文は進化生物学史に新たな一歩を刻む重要なものなのですが

どんな一歩なんだ^^
みんな笑ってるぞ^^
Posted by お呼びじゃないのだ. 連中は at 2012年07月12日 20:40
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