若隠居氏のところにTBを打っているので横槍を入れてみる。
兵法 -primitive-: 議論で重要な事は「相手が何を言ったか(書いたか)」ではない。
要約すると相手を論破、論駁する事は実社会では何の益もない事でありWeb上でもそんなことをすべきではない
という辺りに落ち着くか。
既にこう氏が突っ込みを入れているようにやはり論拠が弱い。
問題提起としては非常に面白い論点を含んでいるのだが、
余計な部分に力が入った挙句論点がそちらにずれてしまっているので
こう氏の反応もそっちに行ってしまっていて実に勿体無い。
まあ「論破・論駁型の議論は駄目だ」としながら相手を論駁にかかってちゃ駄目だわな。
問題点をまとめて指摘したうえで拾える部分だけ拾ってみよう。
以下引用
現状、社会生活を営むにあたって論破・論駁型の議論が役に立つ機会などほとんど無いといっていい。役に立つのは象牙の塔で論文検証するときぐらいのものだろう。
なぜ、論破・論駁型の議論が社会生活を営むに当たって役に立たないか。
それは、通常、社会的な(あるいは組織的な)問題というのは利害の競合から起きるものだからである。それは、例えば営業部と開発部の予算や工期に関する競合であったり、安全性とその安全性を担保するコストとの競合であったりするわけなんだが、この場合、営業部や開発部がそれぞれの論を主張したり、安全性(もしくは)コストの重要性に関してことさらに主張して対立している相手を論破するような事は問題解決にはなんら「貢献しないから」だ。
一見もっともなように見えるこの意見は実はネット上の議論に何の関係もないばかりか
実社会での議論のあり方という点でも疑問を感じる。
持論を強化するために都合のいいことだけを取り上げていやしないだろうか?
>役に立つのは象牙の塔で論文検証するときぐらい
などと論理的思考の現実社会への応用力をさり気なく否定されているあたりは
サイエンティストの端くれとしてちょっと見過ごせない。
事実とそうでないものを区別する、ある論理が正しいか否かを検証するための方法論が
実社会で役に立たないはずがないだろう。
論理の検証、計画の実効性の確認には問題点の指摘、討論という手法は必須だ。
論破、論駁というのはその結果として現れる事象に過ぎない。
>相手を論破するような事は問題解決にはなんら「貢献しないから」
という部分もダウト。
なぜなら極めて限られた領域の話を無理矢理普遍化しているから。
利害の競合から起きる問題において相手を完全論破してしまうことは自分の利益の最大化にはつながっても全体の利益の最適化という視点から見れば確かに最善の策ではない場合もある。
その意味で利益競合型の問題解決策として論破型議論は最適の答えではないというのは正しい。
こういう場で最も適しているのは一つの目的を達成するための議論「最適解追求型議論」だ。
しかし実社会での議論の原因が全て利益競合から来るはずもなく
当然ながらこの論理は一般社会全体に普遍化することは出来ない。
論破、論駁というのは問題点を追及する上で部分的にしろ必ず起こりうるものだ。
そして論争によって相手を全否定するようなことなどそうあるはずもなく、大抵の場合は
限定された問題点に絞ってやりあうものだ。
そしてある命題が真か偽かを決定しなければならない場においては論破型の議論は必須だ。
ネット上の議論もよく見れば論者の全否定を行っているわけでなく
多くはこの「ある命題が真か偽か」というやりとりをしているに過ぎないことが分かるだろう。
このようなタイプの議論を「命題証明型議論」とする。
ここまでの内容をまとめるならば、ウィル氏の犯した過ちは
「最適解追求型」の議論と「命題証明型」の議論を混同したところにある。
「命題証明型」の議論を行っている相手に対して
『そんな物は実社会の(最適解追求型)議論では役に立たない』といったところで
言われた相手は「はあ?」となるだけなのだから。
それでは相手から『あんたの命題は間違いだ』と返されるのが関の山だ。
(こう氏のエントリがちょうどこれに当たる)
ウィル氏はアプローチの仕方がまずかった。(余計な部分に力が入ってミスリードを誘う文章だった)
そうではなく、まずは「最適解証明型」の議論と「命題追求型」の議論の違いを明確にさせ、
『両者を状況に応じて使い分けなくてはならない、「最適解追求型」の議論をすべきところにまで
「命題追求型」の議論の手法を持ち込むことが無い様注意しなければならない。』
という風に議論の展開をすべきだったと思う。
ウィル氏のエントリでは『命題証明型議論』と『最適解追求型』の議論の区別が付けられておらず、
それがこう氏の誤解と議論の変質を招く原因となった。
そんなわけでこの二つの議論の仕方の違いを踏まえた上でウィル氏にはもう一度エントリを書き直して欲しいな。
とリクエストしてみる。
常日頃『命題証明型』の議論ばかりしている人間に対しての忠告としては実に意義深い内容を含んでいると思うので。
このエントリは『「最適解追求型議論」の補足』に続きます。






