そんな風に思っていた時期が私にもありました。
世界があまり変わらないのでブログやめようかと思う - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
なんかブログ者(ブロガー)には、自分の発言(テキスト)で、世界が変わるかもしれない、という幻想は絶対にあると思う。ないとは思えない。でもそんなに簡単に世界(ネット界)は変わらないのだった。
ブログによって世界に影響を与えることは可能だ。
例えそれがどんなピコブログであろうと、そのブログに読者がいる限り、ブログに書いた発言(テキスト)は世界になにがしかの影響を与える。
ただしその影響の波紋は―たとえそれがアルファブロガーであろうとも―世界で日々生まれる大小無数の波紋の中ですぐにかき消されてしまう。
それゆえに、世界に影響を与えたいのであれば、常に情報を発信し続けて波紋を描き続けなければならない。
前に進むことを止めたなら時間の流れに容赦なく押し流されてしまうのだから。
そしてもう一点。
結局のところ、言葉で他人に与えることが出来る影響というのは、相手が受け入れられる影響に限られるのだ。
ビリーバーに、その主張が間違っていることをいかに懇切丁寧に説明しても、受け入れられることが無いように。
その一方で、彼らが自分達の意に沿う言葉は無批判に受け入れてしまうように。
ブロガーが言葉(テキスト)で他人に影響を与えるというのは、
その相手が受け入れ可能かつまだ受け入れていない情報を伝えるということなのだ。
言ってみれば、化学反応の触媒のようなものである。
触媒はあくまでも「自発的に起こり得る反応を促進させるもの」であり、自発的に起こり得ない反応を起こす能力は持たない。
#ただしどこかから反応に必要なエネルギーを調達して来た場合はこの限りではない。
#これはWeb上においても同じ。
#これはWeb上においても同じ。
世界が自分の思うように変わらない?
OK,ならばそれは触媒が足りないか、反応に必要なエネルギーが足りないか、反応の経路選択がそもそも間違っているのだろう。
触媒が足りないのであれば、リアクターとしての自分のブログを大きくし、読者を増やして一度にたくさんの反応を起こせるようにすればいい。あるいは他のブログも巻き込んでリアクターの数を増やすというのも悪くない。
エネルギーが足りないのであれば、自分の中から必要なエネルギーをくみ上げるか、あるいは社会にエネルギーが満ちるのを待てばいい。
反応経路の設定が間違っているのであれば、別の反応経路を考えてみるのも一つの手だ。A→Zを直接結ぶ経路が無かったとしても、A→B→C→…→Zという迂回ルートがあるかもしれない。もっとも、無数の中間ポイントの設定と、その間をつなぐ触媒を用意することは心理歴史学でも極めないことには難しいだろうが。