捏造を許容する意識が払拭できないうちは、マスコミは変われないだろうと思う。
格闘する読売ウイークリー編集部: いったいどうなっているのか(キャッシュ)より
報道の問題を明らかに出してくれたという意味で、この記事は評価できると思う。
しかし、残念なことにこの記事自体にも明らかにマスコミの病理が潜んでいたわけだ。
おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。
なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。
その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。
と書いているが、誤ったイメージじゃなくてマスコミの手によって作られたイメージだろうに。
どうもこれが捏造だという意識がないようで、
赤裸々にというか無邪気にマスコミが情報を捻じ曲げる瞬間のことが書かれている。
「ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、」
というのはまさしくこれを書いた木村透記者の本音なのだろう。
彼は決して「それが悪いことだ」という意識を持っていないわけではない。
だからこそこうして記事に書いているのだろう。
しかしその一方で自分が共犯者だという意識はないようで、むしろ「これくらいなら」という意識があってそれがこの発言に結びついている。
彼の意識の中ではこの捏造は許容範囲だったようだ。
「悪を叩くため」なら捏造も許されるというのは恐ろしく高慢な考え方だ。
ある意味テロリストにも通じる論理だと言える。
また批判を受けるや記事を消して無かった事にしようというのもいただけない。
企業の不祥事のときは鬼の首を取ったかのように嬉々として説明責任を問うくせに、
自分達が批判に晒されると途端にだんまりだ。
そういう欺瞞的な姿勢が最もマスコミ不信を煽ると言うのを理解していないのだろうか?
モラルハザードは通常当人が気付くような速さでは起こらない。
日々少しずつ、長い年月をかけて腐っていくのだ。
木村記者は一度自分の倫理観をチェックしなおした方がいいだろう。
記事の捏造を許容する以上に倫理観の腐蝕が進んでいるかもしれない。






