2008年12月25日

頭が良いってそんなに嫉ましいものなのかね?

pollyannaさんとこの「「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記」を読んでいて考えたことをつらつらと書いてみる。

「頭がいい」という属性は、どうも「運動ができる」とか「金持ち」という属性よりも他者の嫉妬や反感を引き起こしやすいらしい。
pollyannaさんのエントリやブクマコメントにもいくつも例が挙がっているが、私も小学校の頃に「頭が良いから」という理由でいじめというか嫌がらせにあったことがあった。
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2008年03月01日

Catalyst(触媒)としてのブロガー

自分の行動が世界に影響の波紋を広げていくのは面白い。
そんな風に思っていた時期が私にもありました。
世界があまり変わらないのでブログやめようかと思う - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
なんかブログ者(ブロガー)には、自分の発言(テキスト)で、世界が変わるかもしれない、という幻想は絶対にあると思う。ないとは思えない。でもそんなに簡単に世界(ネット界)は変わらないのだった。

ブログによって世界に影響を与えることは可能だ。
例えそれがどんなピコブログであろうと、そのブログに読者がいる限り、ブログに書いた発言(テキスト)は世界になにがしかの影響を与える。

ただしその影響の波紋は―たとえそれがアルファブロガーであろうとも―世界で日々生まれる大小無数の波紋の中ですぐにかき消されてしまう。
それゆえに、世界に影響を与えたいのであれば、常に情報を発信し続けて波紋を描き続けなければならない。
前に進むことを止めたなら時間の流れに容赦なく押し流されてしまうのだから。


そしてもう一点。
結局のところ、言葉で他人に与えることが出来る影響というのは、相手が受け入れられる影響に限られるのだ。
ビリーバーに、その主張が間違っていることをいかに懇切丁寧に説明しても、受け入れられることが無いように。
その一方で、彼らが自分達の意に沿う言葉は無批判に受け入れてしまうように。

ブロガーが言葉(テキスト)で他人に影響を与えるというのは、
その相手が受け入れ可能かつまだ受け入れていない情報を伝えるということなのだ。
言ってみれば、化学反応の触媒のようなものである。
触媒はあくまでも「自発的に起こり得る反応を促進させるもの」であり、自発的に起こり得ない反応を起こす能力は持たない。
#ただしどこかから反応に必要なエネルギーを調達して来た場合はこの限りではない。
#これはWeb上においても同じ。



世界が自分の思うように変わらない?

OK,ならばそれは触媒が足りないか、反応に必要なエネルギーが足りないか、反応の経路選択がそもそも間違っているのだろう。

触媒が足りないのであれば、リアクターとしての自分のブログを大きくし、読者を増やして一度にたくさんの反応を起こせるようにすればいい。あるいは他のブログも巻き込んでリアクターの数を増やすというのも悪くない。
エネルギーが足りないのであれば、自分の中から必要なエネルギーをくみ上げるか、あるいは社会にエネルギーが満ちるのを待てばいい。
反応経路の設定が間違っているのであれば、別の反応経路を考えてみるのも一つの手だ。A→Zを直接結ぶ経路が無かったとしても、A→B→C→…→Zという迂回ルートがあるかもしれない。もっとも、無数の中間ポイントの設定と、その間をつなぐ触媒を用意することは心理歴史学でも極めないことには難しいだろうが。
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2008年01月31日

「科学というモノサシ」に対する反応

難産だったが評判はかなり良い模様。
はてなブックマーク - 幻影随想: 科学というモノサシ
一応3部作のシリーズ物になる予定だったんだが続きは未定だ。

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2007年08月30日

負け上手、負け下手

世の中には「負け上手」という言葉がある。
「負け」をうまく受け入れて被害を最小限にし、さらにはプラスに転じてしまうような人の事を言うのだが、「上手」がいれば「下手」もいる道理で、「負け下手」な人間も当然存在する。
ウェブ上で日々行われている議論を見ていると、議論をしている双方の知識量や論理力、人間性など色々な要素が見えてくるのだが、中でも面白いのが「負け上手、負け下手」の違いだ。
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2007年03月02日

久しぶりに記事翻訳でもしてみようかと思う

Scientific Americanのこの記事を読んで、日本語の翻訳が欲しいと思ったのがそもそもの始まり。
15 Answers to Creationist Nonsense: Scientific American

探してみたところ、どうも日本語テキストが無いっぽい。
著作権の問題があるが、良い文章なのでどっかに訳して置いておきたいのだ。

何故か中文版は出回ってるんだよね。
「創世?」的 15 個謬論

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2006年10月26日

インプット:分析:アウトプット=1:3:6

情報の入手に必要な時間と手間のコストを1とすると、
その情報を整理して自分の知識として取り込むのに必要なコストは約3倍。
取り込み分析した情報をアウトプットしようと思うとさらにその倍はかかる。
ゆえに私の場合情報の処理にかかるコストは大体以下のような割合になる。

インプット:分析:アウトプット=1:3:6

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2006年03月11日

我々は我々がどの程度無知であるかについて無知である

ゆえに我々は、どの点において無知であるかについて知るためにも、
絶えず意識的に試行錯誤を繰り返さなければらない。
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2005年12月03日

燃えないブログマーケティングのススメ

先日あるブログが全焼した。
ブログの炎上自体は最早珍しくも何とも無い光景なのだが、
企業が新商品の販促の為に作ったやらせブログだったというのが注目すべきポイントだった。
このような事例は国内ではおそらく初めてではなかろうか。

ブログのポテンシャルを考えれば日本でも今後ブログをマーケティングや商品のPRに使おうという企業は増えてくるだろう。
しかし適切な方法を取らなかったばかりに商品とは無関係に炎上に至るのは不幸なことである。
そこでどうすれば炎上せずにブログをマーケティングに使うことが出来るか考えてみた。

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2005年11月14日

無防備地域宣言はリスクファクターとなるか

なにやら無防備地域宣言なるものが流行っているらしい。
無防備地域宣言運動全国ネットワーク
(via 無防備地域宣言運動の嘘 : 週刊オブイェクト)
どうやら私の居住地札幌までもが巻き込まれているらしいのだが、どうもこの運動に参加している人間が大きな勘違いをしているように思えてならないのだ。
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2005年10月24日

「パスカルの賭け」の欺瞞

パスカルという科学者がいる。
気圧に関する研究を行いその単位に名を残した、自然科学黎明期の科学者の一人だ。
彼はまた哲学者としても知られており
「人間は考える葦である」という言葉はあまりにも有名だ。

その彼が行った「パスカルの賭け」という有名な思考実験がある。
これはいわばゲーム理論の走りとでも言うべきもので、
神が存在する場合しない場合に、それぞれ神を信じることと信じないことの利益不利益を考え、
どのような行動を取れば利益が最大になるか考えるという内容だ。

「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?
いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。
そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」

 すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。 賭け金は自分の人生である。

 神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。
しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。

 反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。
その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。
死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
来世の幸福をすべて失うことになるからである。
                             パスカル著 『パンセ』

パスカルはこの思考実験の結果、以下のように結論してキリスト教を信じることにしたという。

神の存在を信じる方に賭けた場合、得られる可能性のある利益は非常に大きいが、
たとえ神がいなかったとしても失うものはわずか。
一方神の存在を信じない場合、もし神が存在した場合の機会損失は非常に大きいが
神が存在しなかった時に得られるものはわずかな現世利益のみ。
ゆえに「神が存在する方に賭けるのをためらってはいけない」と。


しかしパスカルのように聡明な人間がそれに気がつかなかったと言うのはちょっと信じがたいのだが
この思考には大きな欠陥が隠されているのだ。
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posted by 黒影 at 23:29| Comment(6) | TrackBack(2) | 論考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする